【治療の原点:部活で仲間にマッサージ】
1990年、神奈川県横浜生まれ。
鍼灸との出会いは、中高生の頃所属していたハンドボール部でした。
当時来ていたスポーツトレーナーの方が鍼灸師で、仲間が治療を受けているのをみたり、自分が治療を受けて怪我が治るのをみて、鍼灸の良さを体験。
トレーナーの方にマッサージの仕方を教わり、仲間に施術していました。
治療家としての原点は、この時でした。
進学校だったので、偏差値だけで志望校を決め、大学受験をしました。
結果、第一志望には不合格で、浪人することに。
その中で、改めて、やりたい事はなんだろうと、進路を考え直しました。
その時、ふと頭に出てきたのが鍼灸師でした。
【研究に打ち込み、師匠と出会う】
2010年、明治国際医療大学鍼灸学部に入学。
鍼灸に進む前は材料工学に興味があり、科学や実験が好きだった私は、解剖学教室で研究の手伝いをしたのをきっかけに、研究にハマりました。
そのまま大学院へと進学し、なんと院の2年間はほとんど鍼と灸に触れず顕微鏡を覗いて過ごしました。
そんな中、今では跡を継ごうとしている蔭凉寺でのご縁が。
住職の寺澤先生は大学の講師でもあり、大学の卒業生が中心になって勉強会が開催されていました。
当時研究に没頭していた私は、お手伝いで参加していましたが、そこで現在の私の鍼灸の師匠となった方にお出会いしました。
命をかけて鍼灸に取り組んできた師匠の、治療に対する考え方、患者さんへの向き合い方など、鍼灸のプロとしてあり方はこういうものだと教えていただきました。
【鍼灸師になる決意】
相変わらず研究が好きでしたが、研究で食べていくことの難しさから博士課程への進学を断念。
鍼灸の道に戻るか別の仕事に就くか悩んでいました。
そんな中、鍼灸の師匠に、滋賀の粟津診療所で患者を診てみないかと誘われました。
師匠は勉強会で常々「鍼灸に向いていない子は早めに辞めさせるのがその子のためになる」と言っていました。
まずは3年精一杯やってみよう、向いていないなら師匠が辞めさせるだろうと思い、鍼灸師として働くことにしました。
【南丹市八木町で、定住・開業を決意】
蔭凉寺での勉強会に同席していた寺澤先生は、住職でありながら、蔭凉寺には住めない事情があり、寺守りを探していました。
そこで私に、寺に住んで掃除など手入れをしてくれないかと持ちかけられます。
進学のために都会からやってきた南丹市でしたが、ここでやっていく決意をし、2017年6月に、もくじき鍼灸院を開業しました。
不安もありましたが、地域のイベントに呼ばれて鍼灸体験のコーナーを出させてもらうなどして、地域の方に温かく受け入れていただきました。
治療に来られた地域の方とのお話は楽しく、治療をしている時間よりも長くなることもあるくらいでした。
【お寺の跡を継ぐために僧侶となる】
お寺に住みながら鍼灸院を開業し、診療していくなかで、ずっとここでやっていくならば、自ら僧侶になる、という選択肢があることを知りました。
これまで仏教とは縁のない生活をしてきましたが、改めて勉強してみると、過去の鍼灸師の中には僧侶もいることがわかりました。
病める人を救うことは、治療家としてはもちろん、仏教においても大事なことだとわかり、鍼灸と仏教、どちらも勉強していこうと思いました。
そして、出家し僧侶となる決意をし、2018年6月に得度、2019年6月より2020年10月まで仏道修行を行いました。
【鍼灸を一生の仕事として】
18歳の浪人の頃に読んだ本の影響で、その頃から、いつか一生取り組んでやっていける仕事を見つけたいと思っていました。
様々なご縁をいただき見つけた、僧侶と鍼灸師という仕事は、一生の仕事として取り組む面白さがあると感じています。
これからも変わらず今も鍼灸一筋に取り組み、一生の仕事として取り組んでいこうと、日々治療に励んでいます。